厚生労働省の研究によると、2030年の認知症高齢者数の推計は523万人であり、高齢者における認知症の有病率は14.2%とされています。7人に1人が認知症となる時代が、わずか5年後に迫っているのです。
このような状況で備えるべきことの一つが、親などが認知症になった場合の、本人の財産管理です。
「認知症になると資産が凍結されてしまう」という話を聞いたことはないでしょうか。「意思能力」のない状態での「法律行為」は無効になるという、民法の規定が存在するためです。(民法第3条の2)
「意思能力」とは、行為によって生じる結果を自ら判断できる能力のことをいいます。「法律行為」とは、意思表示によって権利や義務の発生・変更・消滅など、法律上の効果を発生させる行為を指します。
認知症が進行し、判断能力が不十分になると、財産を管理・活用するために必要な法律行為(例:預貯金の解約や不動産の売却など)ができなくなります。自分の財産であるにもかかわらず、運用も処分もできない"凍結状態"となるのです。
このことが特に問題となるのは、病院や介護施設への入所費用を、本人が自宅の売却や定期預金などで準備していた場合です。認知症によって判断能力が不十分になると、本人が用意していたこれらの手段が実行できなくなってしまいます。
他にも問題になるケースとしては、本人が金融資産への投資や不動産賃貸を行っている場合です。金融商品の売買、入居者との契約や建物のリフォームといった財産を運用・管理するために必要な手続きが滞り、結果的に資産価値の低下を招くおそれがあります。
家族信託とは、信託法に基づく「信託」の仕組みにより、財産の管理や処分を信頼できる家族に任せる契約のことです。
本人が選んだ相手(家族)に、選択した範囲の財産の管理を任せることができる契約であり、認知症となった後も契約どおりに家族が財産を管理し続けることができます。
しかも、契約締結後からすぐに(つまり、元気なうちから)管理を任せられる点や積極的な投資ができる点において、他の認知症対策になり得る制度よりも柔軟な財産管理が可能となっています。
一方、家族信託を利用するには、親子間などで「信託契約」を締結する必要があるため、判断能力が十分なうちに行動を開始しなければならないなどの注意点もあります。
信託では、@委託者(財産の所有者)、A受託者(財産の管理を任される者)、B受益者(その財産から生じる利益を受ける者)の3つの役割に分かれて財産を管理します。
たとえば、親の賃貸用不動産の管理を子に任せたい場合、@委託者とB受益者を親、A受託者を子とする信託契約を親子の間で結びます。そうすると、不動産賃貸業は子に任せ、家賃収入は引き続き親のものとすることができます。親が元気なうちに、このような契約で備えておくことで、認知症が進行して判断能力が不十分になったとしても、子が不動産賃貸業を続けられるのです。
また、上記のように委託者と受益者が同一であれば、この信託契約によって、贈与税が課されることはなく、将来の相続税の対象になります。
認知症に備えた他の財産管理対策としては、家庭裁判所の監督下で利用できる「成年後見制度」があります。
成年後見制度とは、判断能力が不十分な方の生活を支援するための制度であり、「法定後見」と「任意後見」の2つに分かれます。
「法定後見」は、判断能力が不十分となった方の法定代理人(成年後見人など)を、家族などが家庭裁判所に申し立てて選任し、以後はその人物が本人に代わって、財産管理や身上監護(施設や病院への入所や入院の手続きなど)に関するさまざまな法律行為を行う制度です。成年後見人などに選ばれた人物は、家庭裁判所に対して本人の収支や財産の状況などを定期的に報告する必要があります。
「任意後見」は、本人に判断能力があるうちに、あらかじめ本人が選んだ相手(任意後見人)との間で任意後見契約を締結し、判断能力が低下した後に備える制度です。契約は、公正証書を作成する必要があります。契約の効力が発生するのは、判断能力の低下がみられた際に家庭裁判所へ申し立て、任意後見人の職務を監督する「任意後見監督人」が選任されてからとなります。任意後見では、この「任意後見監督人」を通じて、家庭裁判所の監督を受けることとなります。
成年後見制度のうち「任意後見」は、家族信託と共通点の多い制度といえます。
【家族信託と任意後見の主な共通点】
・本人の判断能力が十分なうちに契約を結ぶ必要がある
・本人の意思で、財産管理を任せる相手を選べる
・管理を任せたい財産の範囲などを、本人との合意で決められる
それでは、家族信託と任意後見はどこが違うのでしょうか。代表的な3点を紹介します。
任意後見では、財産管理に加え、医療や介護サービスの利用など本人の身体に関わる手続きも本人に代わって行う契約を結ぶことができます。
一方、家族信託で家族に任せることができるのは、あくまで財産の管理や処分の範囲にとどまります。
家族信託は、信託契約を結んだ後、すぐにでも財産管理を任せることが可能です。
たとえば賃貸不動産の管理では、判断能力は十分でも、高齢になると体力的な負担を感じる場面もあるでしょう。家族信託では、認知症になる前から財産の管理を任せたい場合にも活用できる制度です。
一方、任意後見は前述のとおり、本人の判断能力が低下した後、家庭裁判所へ任意後見監督人の選任を申し立て、その選任がなされてから効力が発生します。
したがって、任意後見による財産管理は、判断能力が十分でなくなってから開始される点に違いがあります。
任意後見人は、任意後見監督人を通じて家庭裁判所の監督を受けることとなります。任意後見監督人に定期的な報告を行いながら、不動産や有価証券など一定の資産の処分時には随時の連絡も求められます。投資などリスクを伴う運用を積極的に行うことは認められません。裁判所のWebサイトによると、任意後見監督人に選ばれる人物は、弁護士、司法書士、社会福祉士、税理士等の専門職や法律、福祉に関わる法人といった「第三者」が増えているようです。
(参考)裁判所HP:任意後見監督人選任
一方、家族信託の場合、財産管理の範囲や方法は基本的に信託契約で自由に決めることができます。ただし、信託契約が適正に履行されているかを監督する「信託監督人」を、信託契約や遺言であらかじめ定めておくことや、利害関係人が裁判所に申し立てて選任することは可能です。
家族の認知症対策としては、このほかにも、金融機関ごとの代理人制度の活用や信託銀行の利用が考えられます。
また、個別の財産管理に関する委任契約を家族信託や任意後見と組み合わせることで、単体の制度ではカバーしきれない部分を補うことも可能です。
現在の家族の状況や管理したい財産の種類、専門家への報酬などのコストを踏まえて判断するとよいでしょう。
また、財産管理を家族の一人に任せる場合は、トラブルの火種とならないよう、家族全員の了承を得ておくことも欠かせません。
相続対策を含め、ご家族の財産管理対策は早めに専門家に相談しましょう。早めの相談が選択肢を広げ、より適切な制度の選択につながります。